前向きの憂鬱

徒然なるままに

物の循環について

物は循環する。食べ物は最終的にふんとして水土に帰り、ゴミはバクテリアが分解する。金は企業から個人にわたり、個人は金を使って店にわたり、利益としてまた帰郷に戻る。もっと言えば外国との貿易を通過の変動を通じてばらばらになったお金がまた戻ってくる。

物の循環は元来の地球の摂理だが、最近はその摂理に反するものを人間が作りすぎてほかの生物に循環を止める命令している。

プラスチックは分解されないままたまる。不純物がたまると最終的に人間に害悪物質として潜在的公害を生み出す。

金も最近の閉塞空間での箱庭労働によるストレス解消のための脳内刺激麻薬を使った大量生産菓子やオリジナルの砂糖の塊の飲み物を量産し続ける店での消費などで悪循環している。日常生活に潜む魔物はちまちまと心も体もむしばんでいく。

人間社会を作るのは人間である。しかし、それを作り替えるのは自分の意思でこれをやると突き進んだ者たちである。

努力という言葉がある。俺が思うに努力といういかにもつらいことを汗水たらして実現するような表現をしている時点でそもそもの考えが間違えていると思われる。

努力しているように見える人間は、目の前のことにただ没頭しているだけだ。ただこれがやりたい、そういう思いで日々物事を日常のごとくこなしている。

「あいつはレベルが違う。努力では埋まらない才能。」

思うにこれは根本的な考え方の問題である。目の前にやらなければならいことに集中していればおのずと自分が目指す道が見えてくる。でもほとんどの人は先を見すぎて今を集中していない。今を集中していればおのずと明日が見えてくる。明日が見えれば光となる。光をたどればそれはやがて包み込む。

長期的なことには計画など無意味だ。そんなことをしても頓挫するだけ。目の前のやらなければならないめんどくさいことだけ計画してあとは考えない。好きなことや大雑把な目標だけ考えてやる。