前向きの憂鬱

徒然なるままに

人間に内在する「神」という存在

日本人は無神論者が多い。これは日本自体が一神教ではないことに起因している。仏という存在がいる。これは本来人の魂を宿した化身というべきだろうか。

俺が思うに人間はよく神と人間を分離したがる。

神のみぞ知る

これは人間が自分に内在する「神」という存在を無意識のうちに活動させているのだと思う。何が言いたいのかというと神と人間は分離しない。つまり一心同体だということだ。

人間の精神世界において、究極の神を宿した存在は「自立」と呼ばれる。それまでに様々な魂の試練を乗り越え、本当の自分を発見することで神の下地を作ることができる。下地を作るとそこからはパーツを集めて自分だけの「神」を作ることができるのだろう。

この神を作る作業は自分だけではできない。人との出会い、そして霊格の高い場所に行くことで初めてパーツを集められる。俺は最近パーツ集めにはまっているがそれは必ずしも目に見えるものではない。

『気』とでもいうべきだろうか。正確には自分の性格に合わせた場所に行くこと。これだけで何をしなくても『気』を集めることができる。気を集めると内面が変化する。なぜなら周りの反応が変わっていくからだ。周りにもいい影響を与えて変化させる。それに付随して自分も成長する。

霊性・実在知能はあらゆる人間の知能の中心であり、その周りの知能と紐づけられている。俺はこの霊性を武器にして自分の計り知れない長所を伸ばしていこうと思う。

 

 

 

 

無神論者というのも神をただ信じないという意味合いでとらえていたが全く違う意味合いもあったことに気づかされた。神は外側にいるか内側にいるかただそれだけの違いで能力に大きな差が生まれようとは・・・・

外側に神を求める人は内側の本当の神から目を背け、内在神の怒りにふれ、自滅していく。彼らは内省を考えることないほどすさんでいるため、わからないにかもしれない。

 

 

昨日とある店で接客を受けたが、内在が違うと波長が乱れる。しかしそれは自分の確固たる磁場を築き上げていないため、ちょっとしたことで波長が乱れる。物音をわざと立てたり、過去にやっていた自分の行動をただ真似てみたりする。人それそれ違うというのは内在を見つめなおせということだ。そうすることでようやく魂の成長が始まる。

俺の魂も次のステップに立った。まったく違う景色が見える。そしてそれは彼女も同じだ。自分が返る場所を探す旅。同じく繊細で他人思いで強い人間。そのためにこれからも現実を生き続ける。