スーツケースを買いにいった話
オレは遠出のために必要な鞄探しの旅に出た。それは短くて無駄な旅だった。
新しい服は今まで来たことがない色。でも我ながらいいと思う。
出発いつも通りの変わらない日常。町も普通でみんなも日常を楽しんでいる。
赤ちゃんが泣いていた。父親が「泣くな男だろ」といい聞かせると泣き止んだ。なんとも微笑ましい光景。これもまた日常。
道端でタバコを吸う老人がいた。正直気分がいいものでもないがこれも日常。
店に着く。女の人が大きな声で勧誘していた。男性女性みんながんばって仕事をして楽しそうに話して髪を整え服を整えかっこよくなる美しくなるかわいくなるようにつとめるこれもまた日常。
しかし道を歩いて悪いことをすると悪いことが帰ってくるこれは非日常。非日常を経験するとじぶんのきもちに嘘をついた気分になる。やはり嘘はつけない。
キャリーケースは便利だがよくよく思うとゴロゴロうるさい足まわり+持ち替える自由性に欠けているの二重苦。効率は非常に悪い。
俺は元来持ち物は少なくしたい人間だ。キャリーケースはどうしても荷物が多くなってしまうときに必要なものであり、おれは少ない荷物を持ち帰るためにキャリーケースを買いにいったという何ともばかばかしい話だ。
親父に貰ったカバンがある。これと服をユニクロの袋に詰めて帰ろうと思う。もっとも効率的でコンパクトだ。
今回の買い物は普段の散歩の延長線上というものだ。俺は普段から買い物は散歩しながら探索する。そうすることで必要が必要じゃないかがわかるからだ。もちろん目的がはっきりしているなら一直線だが、自分にとって必要か必要じゃないか定かではないときはこのようにしてのらりくらり旅してもいいと思っている。
世の中には二種類の人間がいる。一つは計画型の人間。あらかじめやることを決めて実行するのが特異な人。もう一人は探索型の人間。これはとりあえずやってみてその場その場で判断していくタイプ。一見前者の方が安心感があるが、長期的にみると後者の方が成功していることが多い。後者は長期計画など全く考えていないが気づいたらいいところまで行っていたなどということが多い。
ホリエモンもどこかの大学の演説で「長期計画など関係ない」と言っていた。これは最近になって直感に身を任せるようなって初めてわかった。その都度その都度集中することこそが生きる道を作るのだと思われる。